歴史を紐解いていって気づいた事があります。それは「情報発信は終わらない」という事です。たぶん僕たち「ブロガー」による情報発信も何らかの形で後世に残されていくでしょう。
この事を考えたら、ジーンとしてしまいました。
江戸時代の情報発信が参考になった
137/365 The rest is history / LeahLikesLemon
歴史を紐解く際に参考にしたのはこちらの本です。
本書をもとに、参考になった部分と思ったことを書いていきます。
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情報誌は江戸時代から存在している
情報誌による情報発信は江戸時代からあったようなのです。
今で言うと、東京ウォーカーのようなものですね。
芝居は江戸庶民にとって最大の娯楽であり、役者は当時の大スターだったから、人々はこぞって買い求めたという。
いっぽう、芝居番付のほかに、「見立て番付」という一枚刷りの〝情報誌〟もあった。享保年間(一七一六~三六)にはじまり、文化文政年間(一八〇四~三〇)に盛んに出版されたもので、今でいう雑誌の「〇〇ランキング」の類である。
もっとも多かったのは、今でいえば「ミシュラン」のような料理屋の番付だが、ほかにもユニークな番付がたくさんあった
当時から情報誌においてランク付けするものが流行っていて、人々は誰かが編集したコンテンツを消費していたのですね。
そして時代が変わると、情報発信の手段も変わります。
料理屋で言えば「東京ウォーカー -> 食べログ -> Retty」といった感じでシフトしています。
手段は変われど、昔から人々には「情報を知りたい」「誰かのお墨付きが入った情報を消費したい」という欲求があったのです。
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「読売り」という職業は今で言うブロガー
当時は「読売」と呼ばれる情報を掲載する紙メディアがあって、読売に書いてある情報に自分なりの工夫をして届ける人は「読売り」と呼ばれたそうです。
「かわら版」(瓦版)は現在の新聞の原型のようなもの。現存するもっとも古いかわら版は、慶長二〇年(一六一五)、大坂夏の陣のさい、大坂落城を伝えたものだ。
ただし、かわら版とよばれるようになったのは、幕末の文久年間(一八六一~六四)になってからのことで、それまでは読売、辻売絵双紙などとよばれていた。
その読売を売ったのが「読売り」とよばれた商売人。時代劇ドラマなどには、刷り立てのかわら版を抱え、竹の細い棒でバンバン叩きながら、「〇〇屋のだれそれと吉原の花魁が心中だよ、さあ買った買った」と威勢よく売るシーンが登場する。
しかし、じっさいの読売りは、記事のさわりの部分などに節をつけ、ときには三味線の伴奏などを入れながら、内容を歌って聞かせていた。というのも、江戸中期までは、庶民の識字率が低く、文字の読めない人が多かったからだ
当時の民衆にとって「読売り」は欠かせない存在だったようです。
幕府は、ヘンな噂話が広まって世の中が乱れることを懸念し、出版統制令のなかに「噂話」を禁止する条目を加えたほどだ。
しかし、禁止されればされるほど、興味を抱くのが人間というもの。読売は文化文政年間(一八〇四~三〇)以降、爆発的に増えていった。
その内容といえば、敵討ちや心中などのスキャンダラスなニュースから、疫病、災害、美談、さらには珍獣が発見されたとか、幽霊がでたという奇談まで、じつにさまざま。
値段は一枚もので四文(八〇円)ほどで、庶民でも気軽に買えるものだった。それを読んだ江戸っ子は、「おい、昨夜〇〇屋に泥棒が入ったてぇ話はもう知ってるかい?」などと噂話に花を咲かせたのである
当時の「読売り」という職業は現代のブロガーに近いですよね。
新聞や各Webメディアなどのソースを参照して自分で味付けして情報発信するという。
読売りの方々は「記事のさわりの部分などに節をつけ、ときには三味線の伴奏などを入れながら、内容を歌って聞かせていた」ともあるように独自の編集をして情報を発信していたはずです。
そして、情報を消費する民衆にはひいきにしている「読売り」がいたのではないでしょうか。
「この歌い方が面白いからひいきにしてる」とか「情報を届けにくるのが速いから愛読している」といった感じで。
これってまさに、現代における「ひいきにしているブロガーの記事を楽しみにしている人々」と「それに応えるブロガー」の関係性ですよね。
こんな事実を知って、ふと思ったのが「発信する仕事」は終わらないんだなということです。
200年後に「ブロガー」という職業が存在していた事実を知っていてほしい
「読売り」という情報発信者が重宝されていた時代を、僕が知った事は非常に尊いと思うんです。
当時の読売りさん達は「自分が読売りとして25歳のブロガーに知られる」なんて想像もしていなかったわけです。
でも、何らかの形で情報発信者として歴史に刻まれているんですよね。
これは本当にステキなんですよ。
そして、僕もそうなりたいと強く感じました。
200年後も人々は情報を求め、それに応えるように情報を発信する人は存在しているでしょう。
「情報を知りたい」という人々の欲求はこの数百年で変わっていませんから、これからも不変だと思います。
そのときに、未来の人々には「かつてブロガーという情報発信者がいた。そういう職業があった。」という事実を知ってほしいのです。この事実を歴史に刻めたら、これほどブロガー冥利に尽きる事はありません。
ですので、僕はこれからもブログを書き続けてブロガーという職業を定義していきたいです。
そして200年後に何らかの形で「当時はブロガーっていう奴らがいたんだって。今の時代で言う〇〇だよな。」と話題のネタにしてほしいと思います。
ブロガーのみなさん、これってステキだと思いませんか?
自分のやっている事が将来、歴史として刻まれるかもしれないんですよ。
そう考えると、僕たちが情報発信する際の意識も変わるのかなーと思います。
ぜひ実現したいですね。
ということで今日も情報発信するという尊さを意識しながら、頑張っていきましょうか。
それでは!