あなたはもう気づいているのではないですか?PV至上主義によって、重要な指標を見落としていると。PVの重みをしっかり考えていきましょう。
PV至上主義が生む金太郎飴メディア
Infinite Flickr. / Martyn Wright
最近、似たようなメディアとコンテンツが増えたなーという印象を受けます。ネット上で話題になっているコンテンツも「え、前も似たような記事がなかったっけ?」、「あー、こういうのよくあるよね」と思うモノが増えた気がしています。
具体的な記事の内容を言ってしまうと、ヤバそうなのでやめておきますが、「〇〇のための5つの方法」というタイトルで5つほどの見出しで構成し、そこにネットで話題になりそうなワードを詰め込んで作成されている記事をよく見るのです。これはライフハック、恋愛、スポーツなどのジャンルを問わずです。
なぜ、こうした現象が起きているかを考えた所、あるメディアのライターさんからこんな事を聞きました。
「運営しているメディアで最も重要視しているのはPV」
「収益モデルが広告だから、やっぱりPVが評価されてしまう」
「PVが評価指標になっているから、ついYahoo!に載りそうな記事を考えてしまう」
「Yahoo!は爆発的なトラフィックをもたらしてくれる」
どうでしょうか。おそらくこれは「既存メディア運営あるある」ではないでしょうか。
Yahoo!に関して言えば、おそらくどのメディアもYahoo!に載るためのテンプレを持っていて、それ通りに記事を作るというのが一般化しているんだと思います。
さらに、最近はソーシャルメディアからのアクセスも凄まじく、各メディアにTwitter、Facebookなどでシェアされやすい記事のテンプレも存在しているはずです。実際、某メディアのライター(上述とは違う方)に聞くと、「SNSでバズりやすいテンプレはあって、そのテンプレベースで記事を書く事もある」そうです。
このように、各メディアがPVほしさに似たようなテンプレで記事を作るので、内容が似通ってしまい、「金太郎飴メディア」が量産されてしまうのです。僕はこの流れが悪い事だとは思いません。各メディアとも、収益化するためにPVを伸ばす事は必要ですし。しかし、この流れが続くと危険で、各メディアが自分の首を絞めてしまう事になると思うのです。
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共同購入型クーポン、ソシャゲで起きた悲劇
僕が各メディアの金太郎飴化、没個性化が危険だと思っているのは、以下のような歴史があるからです。
共同購入型クーポン系サイトの悲劇
みなさんは一時期、共同購入型クーポン系サイトが流行った時の事を覚えているでしょうか?一定時間内に目標とした人数が購入すれば、非常にお得なクーポンをゲットできるというサービスです。
当時、「これは画期的で儲かる!」という事で、共同購入型クーポン系サイトが量産されました。それらのサイトは個性がなく、どれも同じような事をしていました。ユーザーからすれば、どのサイトで購入しても同じだったので、値段が安くて知名度のあるサイトが利用されるようになりました。
その結果、何が起きたかというと、価格で勝負できて広告にお金をかけられる資金力のあるサイトだけが残ったのです。いま残っている(まともに運営している)のはR社とG社と別のG社が運営するサイトぐらいですよね。きっと。
過去に流行に乗って、没個性化した事でこんな悲劇が生まれていました。
こうした事例は他にもあります。
ソーシャルゲームの悲劇
ソーシャルゲームでの大ヒット作と言えば、「パズドラ」です。このパズドラのインパクトは凄まじく、運営元であるガンホーの利益を大幅アップさせ、株価を急上昇させました。
こうした流れにソシャゲのライバル会社が乗っかろうと、各社「パズドラ」的なゲーム(パズルと何かを組み合わせたもの)を量産しました。ここで量産されたゲームは「パズドラ」のイメージを拭いきれず、どれも個性があるとは言い難いモノでした。案の定、どのタイトルも大ヒットする事はなく散っていきました。これは、アプリのヒットセールスランキングを見れば明らかでしょう。
流行に乗って、没個性化したことでソーシャルゲームの分野でも悲劇が起きていたのです。
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悲劇をメディアが繰り返そうとしている
そして今、各メディアがこれらの悲劇を繰り返そうとしているのです。
上述したように、メディアのほとんどが没個性化しています。PVを獲得するために、そのときに受けそうなものに乗っかってテンプレ通りに記事を作成することがそれを助長しているのです。
この流行に乗って没個性化していくことで、確実に悲劇が繰り返され、広告にお金をかけられて、ライターを多く抱えられる資金力のある大手しか生き残る事はできなくなります。それ以外のメディアは淘汰されていくでしょう。
メディアを運営するものとして、こんな悲しい事は是が非でも防がなければならないと思っています。そこで、その対策として考えているのが「メディアの存在意義を考える事」なのです。
悲劇を繰り返さないためには「存在意義」を明確に定義する事
メディアの淘汰を防ぐためには、各メディアが「メディアの存在意義を明確に定義」する必要があります。それは「なぜ、自分たちはメディアを運営していて、読み手に何を届けたいか、どうなってほしいのか」を熟考することです。
いまのメディアはこの「存在意義」が明確でないため、PV至上主義に陥り、血みどろの戦いを繰り広げてしまっているのです。
ですので、まずは「存在意義」を明確にしなければなりません。
「存在意義」を明確にする事で、ターゲットやターゲットに対して届けたいコンテンツも明確になってきます。正直、僕も「メディアの存在意義」が曖昧だった時期があるのですが、ある失敗を機に「存在意義」を明確にした事で、明らかに読み手の反応が変わりました。
読み手のソーシャルでの反応が改善しましたし、お問い合わせを頂く事も増えました。そして、メディアとしてPVを無理に増やさなくても収益は安定させられるという事に気づいたのです。
これは僕が「なぜ、自分はメディアを運営していて、読み手に何を届けたいか、どうなってほしいのか」を明確に定義した事の賜物だと思います。
「存在意義」は軽視されがちですが、メディア運営ではこれが一番重要です。僕も「存在意義」を明確にして初めて気づく事ができました。これがなければ、僕もPV至上主義に走り、血みどろの戦いを繰り広げる事になっていたでしょう。
さらに、「存在意義」を定義する事で得たものは他にもありました。それは、「記事に対する熱が劇的に上がった」ことです。これまではPVを集めるために、万人ウケしそうな記事も書いてきました。それらには、自分の興味のないコンテンツも含まれていたため、心から「届けたい!」というものではありませんでした。
しかし、「存在意義」を明確にして「本当に届けたいもの」を書くようになってからは、記事を書く際、これまでは気にしていなかった細かい部分にまで気を遣うようになりました。その分、記事に割く時間は長くなりましたが、以前と比べて記事に込める熱は間違いなく上がっています。
それが読み手の反応の変化やお問い合わせの増加に繋がっています。
ですので、各メディアを運営するあなたも、今すぐメンバーと「存在意義」について話し合ってください。そして、「なぜメディアを運営するか、読み手に何を届けたいか、どうなってほしいのか」を明確にして、読み手に刺さるコンテンツを愚直に作り続けてください。それが、きっといい結果をもたらしてくれます。
効果が出るまで時間はかかりますが、これを続けていくしかないのです。PV戦争で血を流しているヒマはありません。今すぐ実行した方がいいです。その際はANGIEのメディアが参考になりますので、そちらも見ながら取り組んでみてください。
それでは!