トトロ、魔女の宅急便、ナウシカの都市伝説・雑学をお届けします。
【宮崎監督は魔女の宅急便をつくる気がなかった?】
「となりのトトロ」が公開された当時、宮崎監督は、
「カリオストロの城」、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」と
もともとつくりたかった作品を世に出し、満足していたので引退する事も考えていた。
しかし、プロデューサーの鈴木氏が、スポンサーも集めてきてしまった(?)ため、
つくらざるをえず、「魔女の宅急便」を制作する事になった。
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【最後の作品になるはずだった魔女の宅急便】
鈴木がスタジオジブリに移籍した当時は、ジブリ作品の興行収入が芳しくなく、
「魔女の宅急便」が最後と噂されていた。
ちなみに、この時期に制作された作品は『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『火垂るの墓』。
そこで、鈴木は日本テレビと提携する事で、「魔女の宅急便」を
ヒットに導き、ジブリ作品を存続させる事に成功した。
興行収入は、21億円で、トトロの3倍。
ちなみに、「宅急便」は、ヤマト運輸の商標だったが、
製作サイドが、この事を知らずに、タイトルに「宅急便」とつけてしまった。
だが、映画化の際は、ヤマト運輸がスポンサーになり、
魔女の宅急便のアニメを用いたCMも作成した。
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【トトロの映画上映の雑学】
当時の映画館で、同時上映されたのは、『火垂るの墓』。
【サツキの初期設定】
初期設定では、10歳(小学4年生)だったが、
しっかりしているという制作側の判断で12歳(小学6年生)に変わった。
名前の由来は皐月(5月)からきている。
【サツキとメイのお父さん】
お父さんは、東京の大学で、考古学を教えている(非常勤講師)。
さらに、生活費がたりないためか、副業で翻訳の仕事も行っている。
【トトロという名前の由来】
トトロの名前の由来はメイに名前を聞かれたシーンで、
トトロが「ドオ、ドオ、ヴォー」と叫び、これをメイが「トトロ」という名前だと勘違いしたため。
【カンタのばあちゃんの秘密】
ばあちゃんは、小さい頃にはススワタリが見えていた。
そのため、まっくろくろすけ(ススワタリ)のことを知っている。
【サツキとメイの初期設定】
当初、主人公はサツキとメイではなく、女の子1人の設定だった。
メイっぽい外見で、5歳の女の子という特徴。
映画化決定の際に、主人公を2人の姉妹にすることを思いつき、サツキとメイになった。
また、映画の尺を伸ばすために主人公を2人の姉妹にしたという説もある。
【トイストーリー3との関係】
トトロが、トイストーリー3に出演している。
【となりのトトロの舞台】
トトロの舞台は、聖蹟桜ヶ丘、宮崎監督が子供のころに育った神田川、
宮崎監督の自宅がある所沢、他に秋田などいろんな場所がモデルになっている。
【トトロの初期設定】
初期設定で、大トトロは「ミミンズク」という名前で1,302歳、
中トトロは「ズク」という名前で679歳 、小トトロは「ミン」という名前で109歳だった。
【最強コンビの出会い】
ジブリのクリエイターで、一番有名なのは宮崎駿監督がいるが、
もうひとりジブリを語る上で欠かせない人物がいる。
それは、プロデューサーとしてジブリをさせてきた鈴木敏夫氏である。
この2人の出会いは、鈴木の前職の「徳間書店」である。
鈴木がアニメ雑誌『アニメージュ』を担当していたときに、宮崎と出会い、
その才能に惚れ込んだ鈴木が「風の谷のナウシカ」の映画企画を提案した。
だが、当時原作がない作品の映画化は前例がなく、不可能に近かったため、
実現させるために、まずは「ナウシカ」の漫画を企画した。
そこで、『アニメージュ』において『風の谷のナウシカ』の連載を開始した。
連載により、作品の人気に火がつき、多くの読者の支持を集めた。
紙面でのヒットにより、「ナウシカ」の映画が実現した。
また、映画化には、宮崎の弟が勤務する博報堂の協力もあったというこぼれ話がある。